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項羽の居城
六国を征服した秦帝国は、その法の過酷さ故に諸国の反発を招き、わずか三代で滅亡した。その後いったんは中国全土を征服したのが楚の項羽である。彼は西楚の覇王を名乗り都を彭城(現在の徐州)と定めた。その後劉邦との楚漢戦争に突入していくのだが、一時とはいえ徐州が中国の中心となったわけである。
当時の記憶をとどめる場所として、戯馬台という場所がある。項羽ファンなら是非訪れたい。


たどり着き方
戯馬台は徐州の町の中にある。

徐州までは南京からは高速バスで4時間ほど、列車で南京から3時間ほどである。高速バスターミナル(長途汽車站)は駅から徒歩3分のところにあり、市内バス(公共汽車)も駅前をターミナルとしているので、行動の拠点は自然と徐州駅(徐州站)になるだろう。


駅にたどり着いたら、まず徐州市の地図を買おう。駅(火車站)やバスターミナル(汽車站)の売店で「地図」と書いて見せると3〜5元くらいで一枚の大きな地図を売ってくれる。その道上にびっしり書いてある赤い線が、バス路線である。
バスは市内一律一元である。1元コインまたは札を入れて19または20のバスに乗り、解放路の戯馬台のバス停で降りて、あとは歩く。
駅から戯馬台まではそれほど離れていないのだが、歩くにはちょっとつらい。バスに乗れば10分ほどで到着するだろう。


戯馬台は小高い丘の上にあるので、地図を片手に坂道を上がっていく。項王路を5分ほど上がれば、右手に戯馬台が見えてくるだろう。

※BOSS_到達:2003年8月
インフォメーション
入場料:10元(2003年8月時点)
開館:不明(8時半くらい〜17時くらい)
休館日:不明
到達時の感想
戯馬台は、項羽が兵士の訓練や馬の競争を見るために作った高台の跡地だそうである。項羽の記憶をとどめる石碑や鼎がおいてあるが、どう見ても紀元前のものではなさそうだ。
どちらかといえばこの地に項羽がいたことが徐州の人の記憶に残っているということを楽しむためのものである。本当に古いものを期待するなら、もうちょっと南に下って博物館をみるか、町の東にある兵馬俑か、町の北にある亀山墳墓に向かうしかない。いずれも漢代のものであり、時代はそれほど離れていない。


戯馬台の中にある項羽と虞美人(項羽の妃)を描いた絵は、明らかに後から描いたものとわかるが、私にはひどく印象的だった。高校の漢文でも読んだが、項羽の最後はとても切ない。
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