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矢野城 |
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野間氏は戦国時代に矢野から吉浦にかけて勢力を伸ばした国人(こくじん)である。
野間氏が矢野に移り住んだのは1445年で、毛利氏に滅ぼされる1555年までこの地方を支配した。
天応には天狗城(てんぐんじょう)、塔岡城(とうのおかじょう)といった支城跡が残り、また野間隆則の墓、腹切岩といった野間氏ゆかりの史跡が残る。
天応と直接関係はないが、天応を支配したという野間氏の居城、矢野城(保木城)があった場所を見に行くことにした。
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登山口 |
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広島市安芸区のホームページによると矢野城を経由して絵下山に登るハイキングコースは2つある。
ハイキングコースの整備
→リンク「あきく魅力マップシリーズ 絵下山コース」をクリック。
矢野上登山口と日広団地登山口のうち、私は矢野上登山口から登った。なお、舗装してある上り坂から山に入ると行き止まりになる。ガードレールの隙間(公明党ポスターが目印)から入るのが正解。登山口を示す標識がないから注意が必要だ。
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矢野城への道 |
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矢野上登山口から矢野城へ向かう道は4回左右に分岐するが、最後の分岐をのぞき道案内の標識がない。
- ガードレールの隙間を入ってすぐの分岐
→右手の、川に沿った道
- 2番目の分岐
→詳細を忘却。
- 3番目の分岐
→右手に入り、急峻な坂を上る。
- 坂を登り切ると尾根を伝う道の横っ腹にぶち当たる
→ここのみ、案内標識がある。左に20メートルほど進むと矢野城跡に到着。
基本、上り坂を進むとたどり着く。
日広団地登山口には案内板があるようなので、そちらから上るのがよいかもしれない。
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矢野城跡 |
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野間氏の居城、矢野城跡である。大内氏滅亡後、陶氏の味方をしたため毛利に攻められ、降伏したが一族、城兵がことごとく殺されたという。
野間氏の墓は散乱していたが、今日有志の手によって拾い集められ、矢野城史跡地に復元された。
このように野間一族の墓がきちんと残っていないため、最後の当主野間隆則(隆実)が天応に落ち延びて腹を切ったという伝説ができたのだろう。
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