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田中八幡神社(たなかはちまんじんじゃ)
天応町の中心地に立つ、古い神社である。田中八幡神社の社叢は呉市の天然記念物に指定されている。


天応町の人々の信仰を集めているお宮である。初詣や秋祭りなど、節目のイベントでは天応の人は基本的にここに集まる。

広い境内は子供の格好の遊び場である。この神社の周辺は宮町と呼ばれる地区になり、面積のほとんどをお宮が閉めているため人家が少なく、地区対抗運動会ではいつも不利な地区であった。

歴史的に見ると、文亀二年(1502年)に神社がこの地に創建されたことが芸藩通志に書かれている。1502年といえば、東は北条早雲が小田原城を制圧し、西は大内氏が盛強をふるっていた頃である。江戸時代にできた伝統などよりよほど古い文化財ということになる。知名度は低いのだが。

公式案内サイト:天応名所案内
大屋川(おおやがわ)
天応の中央を流れる川である。水量は少ないが、私が子供の頃は呉市で一番の清流といわれた。


深山の滝から天応町の中央を通り、海に流れ込む。天応支所の目の前で背戸の川(せとのがわ)と合流する。

子供の頃は深山の滝でそうめん流しを行い、中流でメダカをとったりしていた。そして下流の河床はすべて石畳で、なかなかに風流だった記憶がある。
しかし、今では河床もコンクリートに工事され、藻が生える有様になってしまった。中流部分でも住民による河川埋め立てが行われ、もはや呉一番の清流とはいえないと思われる。
天応市民センター(てんのうしみんせんたー)
呉市天応支所天応公民館である。


選挙から正月の書き初めに至るまで、屋内系行事はすべてこの公民館で行われる。小さい図書室も付属している。

天応町内へ向けた放送はこの公民館から流されるが、音量が大きすぎると住民からの苦情が絶えず、最近ようやく音量が下がったらしい。

昔は消防署(天応出張所)が隣接し、焼山行きバスの車庫にもなっていたのだが、消防署は吉浦と統合され、バスはポートピアに向かうようになったようである。

2012年11月、天応支所は老朽化のため建て替えられ、新しい天応市民センターの落成式が行われた。建物は広く新しくなり、駐車スペースも増加し、消防車が再び配置されるようになった。


公式サイト:天応市民センター
天応小学校(てんのうしょうがっこう)
呉市立の公立小学校である。略して天小(てんしょう)という。


天応町の子供はみんなこの小学校に通う。
運動場は呉市一広く、天応町が海と山に囲まれているので自然の教材には事欠かなかった。しかし呉市の端の学校であるため施設の整備が遅れることが多かった気がする。

天応の町内運動会はこの天応小学校の敷地を借りて毎年行われる。

公式サイト:天応小学校
大屋漁港(おおやぎょこう)
天応町の漁港である。


天応では大屋漁港であがった活きのいい魚を食べられる。朝早く港にいくと、漁師さんから直接魚を買えていた記憶がある。
私が子供の頃は朝一にあがった魚をリヤカーで売りに来るおばさん(漁師の奥さん)がいたのだが、今ではその人は売り歩くのをやめたようだ。

2012年1月現在、大屋漁港は大潮に備えた堤防工事を行い、とても広々とした港になった。堤防が高くなり、海が見えにくくなったのが残念。

若宮神社(わかみやじんじゃ)
天応山の麓にある、小さな祠(ほこら)である。


昔、海からあがった大黒様を、漁師がこの社(やしろ)に祀ったという。
遮断機のない踏切のそばにある。そもそも目立たなかった社が、周りをコンクリの壁で固められてますます目立たなくなってしまった。
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天応町の地図
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