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伊能図 |
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伊能忠敬は初めて正確な日本地図を作った人として名高い。10回に渡って測量に出かけ、第5次測量(瀬戸内沿岸測量含む)からは幕府直轄事業となったため、測量を行うときに地元の藩から大変な援助があったらしい。
こうしてできあがったのが伊能図であり、現在は正本は失われているが、断片的な写しが各地に残る。それらの伊能図をかき集めて全体を復元し、展示するという試みがあった。
これはその伊能図を見てきたレポートである。
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大屋村に関する考察 |
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大屋村(天応町の旧称)が、矢野村大屋になっている。矢野村大屋の北側には坂村小屋、坂村と記述があり、その北側に矢野村が現れている。なぜ、物理的に離れている矢野村所属になっているんだろう…。
一方芸藩通志には大屋村という名称が明確に現れており、伊能図と芸藩通志編纂がともに江戸時代後期であることから、私は自宅に戻って年代を調べてみた。
伊能忠敬第五次測量 1805年
芸藩通志編纂 1818〜25年
ごくわずかではあるが、年代に開きがある。この間に所属が変わった?のかもしれない。すると江戸時代前期には大屋村という名称が存在しないことになる。
真偽を確かめるすべは、手元にはない…。
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